自分がやりたいことがなかなか見つからない、というのが本当にこの数年の悩みでしたが、、
言葉を使うもの
自分は言葉を正確に扱うことを大切にしている。
というのは、数年前にセラピストをしている知人から指摘をされて、気が付いていました。
「それは何なのか」ということを100なら100のままに、正確に表現したい。もちろん、否定的なことは言いたくないけど、嘘はつかず、華美にも表現しない。
自分の中で腑に落ちたものを伝えたい。それが、最近になって、ようやく少しずつできるようになってきた気がする。
「それは一体なんなのか」ということを注意深く見ること。その本質を掴むこと。
表現する言葉のボキャブラリーと物事を見る軸が少しずつ身に付いてきたことが、スキルの少ない自分がフリーランスとして仕事が続けられてきたことの大きな要素だと思う。
ファシリテーションの仕事
言葉を活かした仕事ってないかな?と考えたところ、「ファシリテーション」はどうかな?とある日思いついた。
もやっとした問題意識をはっきりさせること。その場の議題の共通理解と解決案を目指して導いていくこと。
これは意外と、ファシリテーターのスキルに大きく依るところがあるのではないかと思っている。
正直言うと、言葉を扱うものの他にはカウンセリング、セラピー等もあるのだけど、個人の問題を扱うのはとても難しい。手を貸したらよいのか、そのまま見守ったほうがよいのか、判断に迷うこともある。根気強く長い関係が必要。依存にも注意を払う必要がある。そもそも「解決」することがよいのかどうかすらも、疑問がでてくることがある。
それに比べて、ビジネス上のことであれば、前に進めるように方向性をつけることは必要なことは明確なので、心の持ちようが楽。
文化の架け橋に
あともう一つ。
最近、イタリアで秋田のシジミ文化を紹介する通訳をしたり、カンボジアで初のオペラ・共同プロジェクトを成功させた知人の活躍をみていると、自分にも日本と海外との文化をつなぐような仕事がしたい、と痛切に思えてきた。
もちろん、文化の相互理解なんて簡単ではない。
でも、その「お互いがどこまで理解できて、理解できないのか」というギリギリの境界まで探ってみたい。それは旅行でなく仕事でしかできない、と感じている。
私はたぶん、「日本人とは何なのか、そして人として普遍的に通じ合えるものは何なのか」ということを知りたいのだと思う。
こういうときに、芸術や技術など、何か一つでもいいから技があればいいのだけど。。
でも私には言葉がある。相手が何を本当に言っているのかということを推察し、わかりやすく表現することができる。
これは大きな強みのはず。これを活かして何かしたい。
何をどうやったらいいのかな。何かヒントがあればいいのに。
という呟きの投稿でした。
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